
日本の民法は、遺言の方式について厳格な要式性を採用しています(民法960条)。要式性が求められる理由は、遺言者の自由な意思を保護し、偽造・変造を防止して法的安定性を図るためです。主に用いられる普通方式遺言の三種類を整理します。
●全文を遺言者が自署すること
●日付の自書(「吉日」などの記載は無効:最判昭54.5.31)
●氏名の自書
●押印(認め印・指印も有効。ただし花押は不可:最判平28.6.3)
2019年1月の改正民法により、財産目録についてはパソコン作成・通帳コピーの添付が認められましたが、目録の全ページに署名と押印が必要です。
公証人が遺言者の口述を筆記し、証人2名以上の立ち会いのもと作成されます。公証人という専門家が関与するため方式不備のリスクは極めて低いですが、証人の適格性(民法974条:未成年者・推定相続人・受遺者などは証人不可)や遺言者の意思能力の確認は別問題です。
内容を秘密にしたまま存在のみを公証役場で証明する形式。本文はパソコン作成や代筆が可能ですが、署名は自筆が必要。公証人が内容を確認しないため、内容の瑕疵により死後に無効となるリスクが高く、実務上ほとんど使われません。
●方式不備リスク:自筆証書遺言(高)> 秘密証書遺言(高)> 公正証書遺言(極めて低い)
●費用:自筆証書遺言(無料)< 秘密証書遺言(11,000円)< 公正証書遺言(財産額に応じた手数料)
●検認の要否:自筆証書遺言・秘密証書遺言は原則として検認が必要(保管制度利用の自筆証書遺言は不要)
■ 遺言書が無効になる主要ケース
遺言書が民法の定める方式に従わない場合、原則として無効になります。主な例:
●全文または一部を他人が書いた(自書性の欠如)
●日付の記載がない・特定できない
●押印がない
●財産目録を添付した自筆証書遺言で、目録ページへの署名押印が欠けている
ただし近年は「遺言者の真意の実現」を重視し、本質的でない事情については柔軟に解釈する判例も出ています(後述の最新判例参照)。
遺言能力とは、遺言の内容を理解し、その結果として生じる法的効果を認識できる精神的能力を指します。民法は15歳以上であれば遺言能力を有するものと定めていますが(民法961条)、これは行為能力制度の特則として位置づけられており(新注釈民法・有斐閣)、実質的な能力は別途判断されます。
認知症、知的障害、精神疾患などにより作成時に事理弁識能力を欠いていた場合、その遺言は無効となります。
詐欺・強迫によって作成された遺言は取消しの対象となります。「不当な干渉」として問題になるのは、特定の相続人が遺言者を孤立させ、精神的に支配した状態で書かせた遺言です。こうした場合は公序良俗違反(民法90条)や意思能力の欠如と組み合わせて無効を主張する構成がとられます。
遺言の内容が社会秩序や道徳に反する場合も無効となります。現在の判例は、不倫関係の維持を目的とする場合は無効としつつも、相手方の生活保障が主目的であり他の相続人の生活を著しく脅かさない場合には有効とするなど、相対的な判断を行っています。
認知症患者の遺言能力を巡る争いは、相続実務で最も難易度が高く頻出する論点です。裁判所は「総合判断説」に基づき、多角的な要素から能力の有無を判定します。
実務では「改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)」や「MMSE」が用いられます。
●HDS-R 20点以上:概ね遺言能力を肯定する方向
●HDS-R 10〜19点:遺言内容の難易度次第で判断が分かれる
●HDS-R 10点以下:特段の事情がない限り遺言能力は否定されやすい
ただし数値のみで判断されるわけではありません。
①精神医学的状態:診断名、HDS-Rスコア、当時の看護記録・介護記録の内容
②遺言内容の難易度:「全財産を長男に」といった単純な遺言は、認知機能が低下していても能力が認められやすい
③遺言の動機・背景:過去の言動との一貫性、相続人との人間関係、遺言に至る経緯の合理性
④作成時の言動:公証人の証言、署名の筆跡、当時の周囲との会話の的確性
認知症患者が表面上は流暢に話す「取り繕い」現象があります。公証人との短時間の接触だけでは能力の有無を正確に判断することは困難であり、医師や看護師による日常的な観察記録が証拠として重視されます。
入院中に全文を自書し、退院から9日後に弁護士立会いのもと押印した事案において、日付の自書と押印日のズレがあっても直ちに無効とはならないと判示。「方式の厳格さが遺言者の真意の実現を妨げる結果になることは本末転倒」として、実態に即した柔軟な判断が示されました。
HDS-Rが16点まで低下していた高齢者による「全財産を次女に相続させる」という公正証書遺言の有効性が認められました。遺言内容が単純であり、作成前後の他の法律行為において意思能力が疑われていなかったこと、動機に一定の合理性があったことが重視されました。認知症=遺言無効という短絡的な主張を退ける重要な先例です。
遺言の有効性を争う場合、まず家庭裁判所に「遺言無効確認調停」を申し立てます(調停前置主義)。調停で解決しない場合は地方裁判所へ「遺言無効確認訴訟」を提起します。
遺言無効が争われている場合でも、遺言執行者は特定財産承継遺言などにおける対抗力の具備(不動産登記等)を優先すべきか、裁判の帰趨を待つべきかという難しい判断を迫られる場合があります。
●遺言能力の欠如:原則として無効を主張する側(原告)が、作成時に能力を欠いていたことを立証
●方式の具備・自書性(偽造):遺言の有効を主張する側(被告)が、法定の方式に従って真正に成立したことを主張立証
●文書送付嘱託:医療機関からカルテ・看護記録、介護施設からケース記録を取り寄せる。「食事の様子」「排泄の自立度」「スタッフへの言動」などが認知機能の低下を示す証拠となります。
●調査嘱託:自治体から要介護認定資料(認定調査票の特記事項、主治医意見書)を取り寄せる。第三者専門職による客観的な評価として裁判所から高い信頼を得られます。
●金融機関の取引履歴:ATMでの操作ミスや窓口でのトラブルの記録、不自然な高額出金の有無。
●証人尋問:公証人、担当医師、ケアマネジャーなどが対象。「取り繕い」の有無を追及することが重要です。
●鑑定:精神医学的な「遺言能力鑑定」や「筆跡鑑定」が行われます。鑑定人の選定と鑑定資料の適格性が結果を左右します。
自筆証書遺言で他人が本人の筆跡を模倣した偽造が疑われる場合、以下の対応が考えられます。
配字・筆圧・運筆の速さ・特定の文字の癖などを分析します。ただし証明力は絶対的なものではなく、鑑定結果だけでなく発見の経緯・内容の不自然さ・当時の筆記能力の有無といった周辺事実を総合して判断されます。被相続人が作成時期の前後に書いた確実な直筆資料の収集が、鑑定精度を大きく左右します。
遺言書を偽造・変造・破棄・隠匿した者は「相続欠格」として、裁判なく当然に相続権を失います(遺留分請求権も含む)。ただし判例は、「相続に関して不当な利益を得る目的」がある場合に限定しており(最判平9.1.28)、「二重の故意」が要求されます。
偽造によって本来得られるはずだった相続財産を侵害された相続人は、加害者に対して損害賠償を請求できます。損害の範囲には侵害された相続分の相当額に加え、調査費用・弁護士費用・慰謝料が含まれます。時効は損害・加害者を知った時から3年(または行為時から20年)です。
遺言無効の紛争は、法的解釈だけでなく医学的知見や複雑な家族関係が絡み合います。弁護士の関与には以下のメリットがあります。
弁護士法23条の2に基づく「弁護士会照会」を活用し、医療機関や金融機関への開示請求を行えます。個人では「プライバシー」を理由に拒否される資料も開示される可能性が高まります。カルテ・介護記録・通帳履歴から認知機能の低下を裏付ける具体的なエピソードを抽出し、説得力のある主張を構築します。
遺言無効が認められる可能性を客観的に分析し、訴訟リスクと和解の着地点を提示します。特に「取り繕い」現象を見抜けずに作成された公正証書遺言の無効を争う場合など、高度な事実認定が必要なケースでの判断に不可欠です。
筆跡鑑定の依頼・相続欠格の主張・損害賠償請求など、複数の法的手段を組み合わせた戦略的なアプローチが可能です。
遺言作成段階から関与することで、方式不備の排除・作成時の認知機能テスト実施・主治医による診断書取得・作成プロセスの動画撮影など、将来の無効争いを防ぐための証拠を事前に確保することができます。また「付言事項」を活用してなぜそのような分割案にしたかを記録することで、後日の「不当な干渉」という主張を封じる効果もあります。
遺言書の有効性に疑問をお持ちの方、または遺言作成にあたって将来の紛争を防ぎたいとお考えの方は、早めにご相談ください。
遺言書の有効性についてお悩みの方は、弁護士法人ダーウィン法律事務所までお問い合わせください。
弁護士法人 ダーウィン法律事務所 代表弁護士
野俣 智裕
■東京弁護士会 ■日弁連信託センター
■東京弁護士会業務改革委員会信託PT
■東京弁護士会信託法部
信託契約書の作成、遺産分割請求事件等の相続関連事件を数多く取り扱うとともに、顧問弁護士として複数の金融機関に持ち込まれる契約書等のチェック業務にも従事しております。
東京弁護士会や東京税理士会等で専門士業向けに信託に関する講演の講師を務めた経験も有し、信託や相続に関する事件に深く精通しております。