
デジタル遺産とは、財産的価値を有しながらも物理的な実体を伴わず、電子データとして端末やネットワーク上に存在する資産を総称します。法律上の明確な定義はまだ存在しませんが、民法第896条は「相続人は相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する」と規定しており、この原則に基づき、デジタル形式の財産も当然に相続の対象となります。
実務上は、経済的価値の有無によって「デジタル財産」と「デジタル遺品」に分類して考えることが有用です。
●ネット銀行・ネット証券の口座
●暗号資産(ビットコインなどの仮想通貨)
●電子マネーの残高(PayPay・Suica等)
●NFT(非代替性トークン)
●電子書籍の著作権・デジタルコンテンツの収益権
●承継可能なポイント・マイレージ
●SNSアカウント(Facebook・X・Instagram等)
●メールアカウント
●クラウドストレージの写真・動画
●有料サブスクリプション(Netflix・Spotify等)
特に注意が必要なのは、デジタルデータそのものに対する「所有権」の問題です。日本の民法における所有権は物理的な実体を持つ「有体物」を対象としているため、電子データそのものを所有権の客体として相続することは法理上困難です。しかし、そのデータが表章する「債権」や「知的財産権」については相続の対象となります。
スマホのパスコードが不明な場合、相続手続きに必要な情報(ネット銀行のアプリ、暗号資産ウォレット、サブスクリプションの契約情報等)にアクセスできないという深刻な問題が生じます。
端末のパスコードを推測して入力する行為は、インターネットを通じない物理的な操作である限り、不正アクセス禁止法には抵触しないというのが一般的な解釈です。ただし、解除したスマホから他人のID・パスワードを用いてオンライン上のサービスにログインする行為は、理屈上は不正アクセスの構成要件に該当し得ます。
実務上は、正当な相続人が財産管理のためにアクセスする場合、違法性は阻却されると解されることが多いですが、他の相続人の同意なく行動すると、プライバシー侵害や遺産隠匿をめぐる親族間トラブルに発展するリスクがあります。
指紋や顔認証が設定されている場合、再起動後や一定時間経過後には必ずパスコードの入力を求める仕様になっています。火葬前に故人の指を使用して解除を試みる方法は倫理的問題に加え、死後の身体的変化により認証が通らないケースも多いです。
ドコモ・au・ソフトバンクは、契約者の死亡に伴う回線の解約や名義変更には応じますが、「画面ロックの解除」そのものには原則として対応していません。初期化(データの全消去)は提案されますが、中身を残したままのロック解除は断られるのが一般的です。
SNSやメール、クラウドストレージなどのアカウント型デジタル遺産は、多くの場合、利用規約によってアカウントの権利は契約者本人に帰属し、第三者への譲渡や相続を認めない「一身専属性」の条項が含まれています。
各プラットフォームは独自の「デジタル遺産プログラム」を設けています。
●Apple「故人アカウント管理連絡先」:生前に最大5名まで連絡先を指定し「アクセスキー」を共有しておくことで、死亡証明書と共に提示することでiCloud上の写真等にアクセス可能。最大3年間のアクセス権。
●Google「休止アカウントマネージャー」:一定期間不活動が続いた後、指定した相手へデータ共有またはアカウント削除を行う設定が可能。
●Facebook:「追悼アカウント管理人」を設定することで、アカウントを追悼状態へ移行後、プロフィールの固定投稿等を管理可能。
●Instagram:家族や友人の申し出により追悼版への移行またはアカウント削除の申請が可能。
これらは生前に設定しておくことが必要です。死後に遺族が対応しようとしても、アクセスキーがなければ利用できません。
暗号資産は財産的価値があるものとして相続財産に含まれます。相続には「取引所(交換業者)を通じている場合」と「秘密鍵を自己管理している場合」の二通りがあります。
bitFlyer・Coincheck等の国内登録業者を利用している場合は、銀行と同様の手続きで相続が可能です。戸籍謄本・印鑑証明書・相続届等を提出し、代表相続人の同社口座への移管が行われます。
ハードウェアウォレット等で自己管理している場合、被相続人のみが知る「秘密鍵」や「シードフレーズ(12〜24個の単語列)」を遺族が紛失していれば、その資産へのアクセスは恒久的に失われます。これはブロックチェーン技術ゆえの不可逆的な損失であり、法的には相続財産であっても実質的には「回収不能な資産」となります。
暗号資産の相続税評価は「相続開始時の時価(保有数量×その日の最終価格)」で行われます。手続きに時間を要し、実際に換金した時点の価格が暴落していたとしても、税額は相続時の高値で計算されるという不利益が生じる可能性があります。
PayPay・Suica・楽天キャッシュ等は「前払式支払手段」として原則相続の対象となりますが、サービスによって払戻手続きの可否が異なります。本人のID・パスワードが不明な場合は手続きが極めて煩雑になります。
クレジットカードのポイントや航空会社のマイレージは、規約によって相続を否定しているケースが少なくありません。JAL・ANAのマイルは死亡後6か月以内の申請を条件に承継を認めていますが、楽天ポイントのように「一身専属性」を明記し相続を認めないサービスも存在します。
Netflix・Amazon Prime・音楽配信等の自動更新サービスは、契約者が死亡したことを運営会社が自動検知する仕組みを持ちません。そのため、登録されたクレジットカードや銀行口座から月額料金が延々と引き落とされ続けます。国民生活センターにも「故人のスマホ解約後もクレジットカードに不明な請求がある」という相談が複数寄せられています。
さらに危険なのがFXや信用取引です。相場変動によって追証(追加証拠金)を求められ、相続人が多額の借金を背負うリスクがあります。デジタル遺産の調査は「もらえる財産」を数えるだけでなく、隠れた債務を迅速にカットするためにも不可欠です。
デジタル資産は相続財産である以上、相続税の申告義務が生じます。現時点では暗号資産を除き、国税庁からデジタル財産に特化した詳細な評価基準は示されておらず、既存の「財産評価基本通達」を準用します。
●ネット銀行預金:死亡日の残高+既経過利息(一般の預貯金と同様)
●ネット証券:相続開始日の終値(上場株式等の評価に準ずる)
●暗号資産:保有数量×相続開始日の最終価格
●電子マネー残高:未使用残高をそのまま評価
●承継可能なポイント:商品割引相当額等を円貨換算
●NFT・デジタルアート:売買実例価額または専門家意見価格
YouTubeの広告収益権やブログのAdSense収入、電子書籍の印税など、一身専属性がなく引き継ぎ可能なデジタルコンテンツの権利も、将来得られる収益を見越した評価が必要です。
デジタル遺産への対応を考える上で、遺言書の「できる・できない」を正確に理解しておくことが不可欠です。
暗号資産・電子マネー・ポイントなど、財産的価値があって相続の対象となるデジタル財産については、「誰に引き継ぐか(相続させるか)」を遺言書で指定することができ、この指定は法定遺言事項として法的な効力を持ちます。
「ビットコインのウォレットを長男に相続させる」「ネット証券口座の資産を妻に相続させる」といった記載は、相続人を拘束する法的効力を持ちます。
一方で、「見られたくないデータを削除してほしい」「SNSアカウントを閉鎖してほしい」「サブスクを解約してほしい」といった指示は、遺言書に記載しても法的な強制力が生じません。データの削除やアカウントの解約といった「事実行為」は法定遺言事項に該当しないため、あくまで家族に対する「お願い(付言事項)」にとどまり、実行する義務は生じないのです。
こうした死後のデジタル後処理を確実に行ってもらうためには、弁護士等の専門家と「死後事務委任契約」を締結しておくことが最も有効です。この契約に以下の事項を盛り込むことで、法的根拠をもってスムーズに処分を進めることができます。
●スマホ・パソコン内蔵データの保存・削除の指示
●SNS等の各種アカウントの削除・退会手続き
●IDやパスワードなどの情報引継ぎ
●有料サブスクリプションの解約手続き
まとめると、「財産的価値があるデジタル資産の承継(誰に渡すか)」は遺言書で、「見られたくないデータの処分(削除・破棄)」は死後事務委任契約で、という使い分けが最も確実で有効な方法です。
デジタル財産の管理・承継には、民事信託(家族信託)を活用する方法もあります。
暗号資産はブロックチェーン上に保存され、秘密鍵を持つ者が排他的に管理できる仕組みとなっています。この「排他的管理」の性質により、暗号資産は信託の対象(信託財産)となりうると解釈されています。秘密鍵の管理を受託者に委ねる形で信託を設定し、受益権として取り扱うことで、相続発生時の混乱を防ぐことができます。
ネット銀行等の「預金口座(預金債権)」そのものを名義変更して信託財産とすることは、約款上の譲渡制限があるため原則としてできません。実務上は、委託者が口座から預金を引き出し(払い戻し)、「金銭」として受託者に引き渡した上で、受託者が新たに開設した信託口口座で管理するという手法が取られます。
民事信託はあくまで「財産管理」を目的とする制度です。SNSアカウントの閉鎖やデータの消去といった「財産管理とはいえない事実行為」そのものを信託事務とすることはできません。
そのため実務では、「民事信託(財産管理・承継)+死後事務委任契約(デジタル遺品の後処理)+エンディングノート(希望の記録)」の三つをパッケージで設計する「おひとりさま信託」等の仕組みが提供されています。これにより、財産の管理から死後のデジタル後処理まで網羅的にカバーすることが可能です。
デジタル遺産をめぐるトラブルを未然に防ぐためには、以下のステップで生前に準備しておくことが重要です。
ネット銀行・証券・暗号資産・主要サブスクリプション・高額ポイントの一覧表を作成します。
●デジタルエンディングノート:アカウント名と管理方針を記載。パスワードそのものを書くのが不安な場合は「ヒント(母の旧姓+電話番号下4桁)」のみ記載し、信頼できる家族にマスターパスワードを共有しておく方法も有効です。
●プラットフォームの設定:AppleとGoogleの故人向け管理機能を今すぐ設定しておきましょう。特にAppleの「故人アカウント管理連絡先」は、発行したアクセスキーを信頼する家族と共有しておくことが不可欠です。
「ビットコインのウォレットを長男に相続させる」「ネット証券口座の資産を配偶者に相続させる」といった具体的な指示を遺言書に盛り込みます。遺言書の財産目録にデジタル資産を一覧化して添えると、遺族の調査漏れを防げます。
SNSアカウントの削除やPCデータの破棄など、遺言書では法的効力が生じない「死後の事実行為」を、弁護士等の第三者に委任しておく契約です。生前にID・パスワードを受任者に提供し死後の使用を委託しておくことで、不正アクセスの疑念を払拭した確実な手続きが可能になります。
デジタルサービスは頻繁に仕様変更が行われます。半年に一度、または新しいデバイスを購入したタイミングで情報を更新しましょう。
デジタル遺産の相続は、IT・法律・税務の三領域が重なり合う高度な実務です。弁護士に依頼することで以下のメリットが得られます。
デジタル資産の「承継(遺言書)」と「処分・削除(死後事務委任契約)」を適切に使い分け、漏れのない設計を行います。特に暗号資産の秘密鍵情報の安全な引き継ぎ方法や、信託との組み合わせについても助言が得られます。
「一身専属性」の条項が消費者契約法10条や民法548条の2第2項(定型約款の不当条項)に基づき無効となりうるかの判断など、専門的な法的観点からの見解が得られます。
デバイスのロック解除や故人のID・パスワードを使用した手続きが法的に適法かどうかの判断と、適法に進めるための手順について助言が得られます。
SNSを残すか消すか、デジタルデータの扱いで意見が対立した場合の調整役を担います。
暗号資産のような評価が難しい資産については、税理士と連携した上での適切な評価・申告ができるよう支援します。
デジタル遺産は「目に見えない資産」であるゆえに見落とされがちですが、適切な準備と専門家の関与によって、家族への負担を大幅に減らすことができます。お早めにご相談ください。
デジタル遺産の相続についてお悩みの方は、弁護士法人ダーウィン法律事務所までお問い合わせください。
弁護士法人 ダーウィン法律事務所 代表弁護士
野俣 智裕
■東京弁護士会 ■日弁連信託センター
■東京弁護士会業務改革委員会信託PT
■東京弁護士会信託法部
信託契約書の作成、遺産分割請求事件等の相続関連事件を数多く取り扱うとともに、顧問弁護士として複数の金融機関に持ち込まれる契約書等のチェック業務にも従事しております。
東京弁護士会や東京税理士会等で専門士業向けに信託に関する講演の講師を務めた経験も有し、信託や相続に関する事件に深く精通しております。