
民事信託(家族信託)の組成において、最も深刻かつ不可逆的な損害をもたらすのが税務上の不利益です。信託財産には個人所有とは異なる独自の税務ルールが適用されるため、設計を誤ると多額の追加税負担が発生します。
通常、個人の不動産所得で赤字が出た場合は、給与所得などの他の所得と合算(損益通算)して節税できます。しかし、信託財産から生じた不動産所得の損失については、租税特別措置法41条の4の2第1項により、税務上「なかったもの」とみなされ、損益通算も翌年への繰越控除も一切できません。
例えば、信託不動産で200万円の赤字が発生した場合:
●個人所有なら:他の所得200万円を相殺→税負担が最大80万円軽減
●信託財産なら:赤字は切り捨て→他の所得への節税効果ゼロ
大規模修繕が見込まれる収益物件や空室リスクの高い物件を信託に組み入れると、手元資金が減るのに税負担は下がらない「二重の損失」が生じます。
対処法:将来的に赤字が見込まれる物件は信託財産に入れないか、黒字が見込める他の物件と同一の信託契約に組み入れて信託内部で損益を相殺できる設計にする必要があります。
親の自宅を信託して、親の死後に売却することを計画している場合、致命的な「後悔」となるのが「空き家特例」の適用外問題です。
東京国税局は令和4年12月20日付の文書回答で、「信託終了によって残余財産帰属権利者として取得した不動産を売却した場合、空き家特例(租特法35条3項の3,000万円特別控除)は適用できない」と判断しました。理由は、この特例が「相続または遺贈による取得」を要件としており、信託契約に基づく取得はこれに当たらないというものです。
例えば実家の譲渡益が3,000万円あった場合:
●通常の相続で取得→特例適用で税額ゼロ
●信託終了で取得→特例不可、約600万円(税率20%)の税負担
対処法:将来的に空き家特例の適用を受けたい場合は、自宅を信託財産から外し、任意後見契約など別の制度の活用を検討しましょう。
アパートローンなどの借入金がある不動産を信託している場合、信託終了時に債務控除が否認されるリスクがあります。相続税法9条の2の条文構造上、委託者の死亡によって信託が終了し帰属権利者に財産が移転する際、信託内の負債を相続財産から差し引けない可能性が指摘されています。
例:不動産評価額1億円・信託内借入金5,000万円の場合
●債務控除が認められる場合:課税対象1億円
●債務控除が認められない場合:課税対象1億5,000万円(数千万円の課税ベース増大)
対処法:借入金のある物件を信託する場合は、必ず信託に精通した税理士と連携し、終了時の税務処理を事前に設計しておくことが不可欠です。
小規模宅地等の特例(評価額80%減額)も、信託の受益者設計が不適切だと否認されます。信託の受益者と実際に土地を取得する相続人が法的に一致していない場合、数千万円単位の増税となる可能性があります。
また、登録免許税については、土地の信託設定時は0.3%の軽減税率が適用されますが(2026年3月末まで)、信託終了時に帰属権利者が「相続人以外」の場合(孫など)は2.0%が適用され、予想外のコスト高につながります。
民事信託(家族信託)は「家族への信頼」を前提とした制度です。しかし、特定の親族に権限が集中することで、かえって家族間の不和を招くケースが後を絶ちません。
父親が次男を受託者兼帰属権利者として大半の不動産を信託した事案で、長男(原告)には形式的に受益権の1/6が与えられていましたが、売却も賃貸も想定されない経済的価値のない受益権でした。
東京地裁は、「遺留分制度を潜脱する目的」で信託制度を利用したとして、経済的利益の分配が想定されない部分について公序良俗違反(民法90条)として無効と判断しました。遺留分侵害額請求の対象は「信託財産」ではなく「受益権」であるとも判示しています。
この判例は、民事信託(家族信託)が「遺留分逃れ」に使えないことを明確にした重要な先例です。信託組成時には、他の相続人の遺留分に配慮した設計が不可欠です。
母親が長女を受託者として信託契約を締結しましたが、後に長男の家で世話になることになり、長女との信託を終了させようとしました。しかし、信託契約に「受益者は受託者との合意により信託を終了できる(信託法164条3項の別段の定め)」という条項があったため、委託者単独での任意終了は認められず、母親の請求は退けられました。
「いつでもやめられる」と思って契約したのに、実は一方的に終了できない条項が入っていたという「落とし穴」です。
対処法:専門家は委託者(親)と個別に面談して真意を確認し、終了条件を過度に制限しない設計上の工夫が必要です。
民事信託の受託者はプロの信託銀行と同等の忠実義務(信託法30条)・善管注意義務(同29条)を負います。しかし実務では「親の金は自分の金」と誤解した受託者が信託口口座の資金を私的に流用してしまうトラブルが絶えません。
また、特定の子が受託者として財産を独占的に管理し、他の兄弟に情報を開示しないことで「親の囲い込み」が疑われるケースも多発します。信託法37条・38条に基づく帳簿閲覧請求や報告請求を拒否することで、感情的な対立が激化し、法的紛争に発展します。
相続発生時に信託財産ではなく「受益権」を誰が承継するかが争いになります。受益権の評価手法は一律ではなく、収益性の異なる物件を異なる相続人が取得した場合、時価の算定をめぐる意見対立が深刻化します。
立派な信託契約書を作成しても、実務面での細部でつまずくと信託は全く機能しません。
信託法37条は、受託者に対して毎年1回の帳簿(収支計算書等)の作成・報告・10年間の保存を義務付けています。しかし、受託者になった親族がこれらの義務を果たさないケースが多発しています。
専門家の継続的な関与がなく適正な管理・報告が行われない状態は「糸の切れた凧」と批判されています。帳簿不作成の場合:
●税務リスク:信託の実態がないとみなされ受託者個人への課税が行われる可能性
●法的リスク:受益者や他の親族から受託者解任・損害賠償請求の根拠となる
対処法:弁護士等の専門家が継続的に関与する支援体制の構築が重要です。
信託口口座は、委託者・受託者の個人財産から完全に分離され、受託者が死亡しても凍結されない信託専用口座です。しかし、この口座を開設できる金融機関は限られており、審査も極めて厳しいです。
この事案では、高齢の委託者がアパート修繕資金の融資を受けることを前提に、司法書士の支援のもと信託契約(公正証書)を締結しましたが、その後金融機関から信託口口座の開設と信託内融資を拒否されました。
東京地裁は、「信託口口座開設や融資を受けられないリスクがあるのに、そのリスクを説明せずに契約を先行させた」として、司法書士の情報提供義務違反・リスク説明義務違反(不法行為責任)を認定しました。
対処法:実務家は、信託契約書の作成前に必ず対象の金融機関と事前調整を行い、口座開設の可否と融資条件を確実に確認してからスキームを進める必要があります。「見切り発車」は許されません。
民事信託(家族信託)は「契約」である以上、委託者に意思能力がなければ無効となります(民法3条の2)。認知症が進行した後に慌てて組成しようとして、本人の意思能力が不十分な状態で契約書に署名させた場合、後に他の相続人から診断書や介護記録を証拠として「契約無効」を訴えられます。
裁判所はHDS-R(改訂長谷川式スケール)のスコアや当時の言動を重視します。スコアが著しく低かったり、入院中でコミュニケーションが困難な状態での組成は、後日の紛争で容易に覆されます。
信託をいつ終わらせるか、誰が残余財産を受け取るかの設計ミスも深刻です。
●帰属権利者の指定漏れ:指定がない場合、残余財産は相続人全員の共有となり後のトラブルの原因となります
●予備的指定の不在:指定した帰属権利者が先に亡くなった場合、次の候補が決まっていないと信託が漂流します
●受託者の後継者不在:唯一の受託者が死亡し、後継受託者が決まっていない場合、1年以内に選任しなければ信託が強制終了します(信託法163条3号)
これらの設計ミスは、組成時には気づかず、数十年後の「いざという時」に発覚するため、取り返しのつかない結果を招きます。
民事信託(家族信託)で「後悔」しないためには、以下のチェックポイントを事前に確認することが重要です。
□ 信託不動産の損益通算禁止による税負担増加を税理士に試算してもらったか?
□ 将来の空き家売却で3,000万円特例を使う予定がある場合、自宅を信託財産から外したか?
□ 借入金がある物件の信託終了時の債務控除について、税理士に個別確認したか?
□ 小規模宅地等の特例の適用条件が信託設計と整合しているか?
□ 推定相続人全員に信託の目的・仕組み・内容を説明し、理解と納得を得たか?
□ 遺留分を侵害していないか、または侵害額に備えた準備ができているか?
□ 受託者以外の親族が情報を得られる仕組み(信託監督人の設置等)を設けているか?
□ 対象金融機関で「信託口口座」が確実に開設できることを事前確認したか?
□ 受託者は毎年の帳簿作成・報告義務を果たす意思と能力があるか?
□ 委託者の意思能力について医師の診断や公証人の確認を得ているか?
□ 帰属権利者が先に亡くなった場合の「予備的帰属先」を定めているか?
□ 後継受託者の指定はできているか?
□ 信託終了のタイミングと要件は適切に設定されているか?
弁護士に依頼することで、これらのチェックポイントを意識した適切な設計が可能になります。単なる契約書の作成にとどまらず、税理士・公証人・金融機関との高度な調整、遺留分を考慮した条項設計、そして組成後の継続的な伴走支援により、「作って終わり」ではなく長く機能し続ける信託を実現します。
民事信託(家族信託)の「後悔」を防ぐためには、目先のメリットだけでなく、長期的な運用コストと法的リスクを直視し、適切な専門家の助言を積極的に活用することが不可欠です。
民事信託(家族信託)についてお悩みの方は、弁護士法人ダーウィン法律事務所までお問い合わせください。
弁護士法人 ダーウィン法律事務所 代表弁護士
野俣 智裕
■東京弁護士会 ■日弁連信託センター
■東京弁護士会業務改革委員会信託PT
■東京弁護士会信託法部
信託契約書の作成、遺産分割請求事件等の相続関連事件を数多く取り扱うとともに、顧問弁護士として複数の金融機関に持ち込まれる契約書等のチェック業務にも従事しております。
東京弁護士会や東京税理士会等で専門士業向けに信託に関する講演の講師を務めた経験も有し、信託や相続に関する事件に深く精通しております。